こんにちは!
東京都町田駅エリアで活動中の
くせ毛美容師 イシカワです!!
先日、ご来店いただいた
我らが同志クセ毛のお客様との会話で
『なぜ人間はストレートな艶髪が
美しいと感じるのか?』
という話になりました
我々クセ毛にとっては、そのウネウネの毛を
怒り狂ったニャンコの如く
逆立ててしまうところなのですが
”クセのない艶髪=美しい”
という概念があるのは
認めざるを得ない事実でありしょう

もちろん好みの問題もありますので
全ての人が美しいと感じる。
というわけではないけれど
ウネウネジリジリの髪の毛よりも
ツヤツヤサラサラの髪の毛が美しい
という価値観は
全世界に共通することだと思うのです
顔にも黄金比なるものがあって
それに近いほど美しいとされるのは
これまた世界共通のことなわけですが
髪の場合も同じこと。

そりゃ悔しいですよ?!
髪の毛のケアに命をかけても
生まれ持った髪質には敵わないわけで
あなたもこれまでに、朝起きたら
ツヤサラヘアーになっていることを
何度夢見てきたことだろうし
「髪質が良ければ
もっと違う人生だったのではないか?」と
物思いにふけってしまう事もあるのが
ツヤを感じない我々クセ毛という人種。。。
クセ毛にとっては悔しくて
そして辛すぎる世界の価値観なわけですが
そんなふざけた思想ができた原因は
まずは、文化的、社会的な要因が
考えられるでしょう
【艶髪信仰の正体】なぜ人はツヤ髪を美しいと感じるのか?!
・歴史的な美意識
古代エジプトや中国、日本でも
髪は「女の命」と呼ばれるほど
大事な審美要素とされ
艶やかな黒髪は清楚さや高貴さの
象徴とされてきたのがこれまでの歴史
特に日本では、平安時代の
「垂髪(すべらかし)」=長く黒く艶のある髪が
最高の美とされたのは有名な話です

・広告・メディアの影響
現代はシャンプーやヘアケア商品のCMや
SNSの広告でも
「ツヤツヤ髪=美しい女性」というイメージが
徹底的に刷り込まれています
これは商品を売るための”洗脳”といっても
過言ではないと個人的に思っているわけですが
文化的に強化され続けた結果
「ツヤがない=残念」という感覚が
広く共有されるようになった。というわけです
「・・・クソめっ!ふざけやがって」と
そんな文化や社会の考えを
ぶっ壊すための活動にはぜひ僕も一票を
投じさせていただくわけですが
そんな国民クセ毛党の価値観が
根付くのはだいぶむずかいのがこれまた事実

というのも
艶髪が美しくクセ毛が嫌悪されることには
文化や社会的な洗脳以外に
生物学的、進化的な背景も
存在するからでございます
結論から言うと
ツヤを感じる髪の毛が美しく
魅力的に感じるのは
人類の本能によるものなのです

どーゆーことかというと
髪のツヤは、キューティクルが整い
光を反射している状態。
これは「栄養状態が良い・清潔・若い」
といった健康サインとして認知されやすいわけ
進化心理学的には、これは太古の昔より
異性へのアピールポイントになりうる
要素だったとも考えらているわけですよ?!
言葉に気をつけないと
僕は反感を買われちゃうわけですが
『健康である』ということは
ある意味遺伝子を残すことを使命とする
我々ホモサピエンスが選ぶ
生殖相手に求める要素として欠かせない
健康であるか否かは
繁殖能力に関わることでしょうからね
その健康かどうか見た目で判断するのに
髪の毛のツヤというのは1つのファクター

実際には髪質が悪くても健康な人は
たくさんいるし僕の髪質も終わっているけど
比較的健康体なので
ジリジリの髪質だけを見て
その能力が劣っていると言われるのは
聞き捨てならないわけですがw
不健康な体から押し出される髪の毛は
ハリやコシがなかったり
ツヤを感じにくい質感であったり
老化(=繁殖能力が劣る)により
髪の毛に元気がなくなる傾向は
事実あるわけです
で、人類って20万年以上も狩りをしてきていて
狩りが必須でなくなったのは
数千年〜200年前くらいから
ということは人類史の90%以上は
狩りをして暮らしていたということ
であれば
人間の体はまだ狩猟採取仕様になっていると
考えるのは自然なことで
となると
健康の証明である艶髪に魅力を感じるのは
『人間の抗えない本能』なのです
僕だってツヤのないクセ毛なわけですから
この酷すぎる人間の本能に
涙を浮かべているわけですが
そうDNAに組み込めれちゃってるんだから
受け入れるしかないこと
とはいえ、人間が魅力を感じる部分なんて
髪の毛以外にもたくさんあるわけだし
てか今はクセ毛でも縮毛矯正かけたり
ストレートアイロンなどを使って
ツヤツヤにスタイリングをすれば
本能的に魅力を感じる状態を
作れるわけですから
クセ毛だからといって
決して諦めてはなりません w

本能に従って艶髪を目指すのも良しだし
はたまた本能に逆らって
僕にようにクセを全開放して開き直るのも
ある意味では魅力的ではないのでしょうか?w
ということでなんの記事だか
わからなくなってきましたが、まとめると
我々クセ毛人間にとって
「ストレートで艶やかな髪=美しい」
なんていう価値観は
文化と歴史と広告のゴリ押しに加え
狩猟採取時代からのDNAにまで
刷り込まれているという
なんとも理不尽すぎる事実。
けれど冷静に考えてみれば、
今の時代は縮毛矯正もあればアイロンもある。
ツヤを演出する技術はいくらでもあって
その気になれば
“人類本能に刺さる髪”を作れるのです
逆に、そんな本能や常識に背を向けて
「クセ毛全開ですけど何か?」と
開き直って生きるのもまた一興。
結局のところ
艶髪を目指すもクセ毛を愛でるも
それを自分がどう選んで、どう楽しむか
その姿勢こそが一番“魅力的”なんじゃ
ないでしょうか?
・・・ということで同志クセ毛よ
今日もDNAに泣かされつつも
したたかに、そして楽しく生きてまいりましょう
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